学生時代、バイトで公文の先生をしていた時の話し。
大学生1年の後期から卒業までの間、週2で公文の先生をしていた。大学のアルバイト募集掲示板に「週に2回、3~4時間、丸を付けるだけの簡単なお仕事です。」と書いていたかどうかは覚えてないけど、友達と2人で面接に行ってそのまま採用された。
私達を採用してくれたのは50代の女性で、そこの教室の経営者。20年以上やってるベテランの先生だったけど、どこにでもいるような、ちょっと品のいいオバサンっていう感じ。
公文の教室に通ったことがある人は分かると思うけど、教室に入ると、家でやってきた宿題を先生に渡して、その日に教室で解く教材を渡される。教材を渡されたら好きな席に座って、1人で解く。分からなければ先生に聞きに行けるけど、最後に先生が採点して間違った所を説明するから、分からなくても適当に番号選んだり、空白で出す子もいる。黙々と解く子もいる。
公文の先生はじめて2週間くらいから、ようやく教室中の人間関係が見えて来た。3才から中3まで生徒の年齢はバラバラで、家庭環境もさまざま。
4年近く公文の先生やってたら、生徒と親しくなるし、親御さんとも面識できるし、何より子どもは家庭内のことをペラペラ話すお喋りちゃんばっかりだったので、お喋り封じ込め大作戦は大変だったけど、勉強以外の話しも沢山したし、みんなもしてくれた。ほとんどが、今となっては思い出すことも出来ないようなどうでも良い内容だったんだろうけど、いくつか今でも忘れない思い出がある。
私を雇ってくれた先生は、公文を通して私が成長できるようにと、その時期に合った生徒を私にまわしてくれていたと思う。
100点を取るより100点にするほうが大事
生徒の質問に答える以外の時間は、鬼の形相で宿題の採点をする。なんでその場で宿題の採点を終わらせたいかというと、宿題の中に間違いが合ったら、私が見ているところで訂正させて100点にして返したいから。もちろん私が宿題を採点している間に、生徒は新しい問題を解いているんだから、解き終わったらその問題の採点もやって、間違った問題は私が見てるところで解いてもらう。
解いてる姿を見てると、何につまずいているのかがすぐに分かるし、勘違いしているところを見つけやすいから、間違った問題を解き直してる生徒の考えている姿は好きだったな。
1人で解けそうになかったらヒントを1つ出すと、すぐに解決することが多かった。自力で解決したっていうので生徒も嬉しそうだし、”自力で解かせたったー”みたいな満足感が私の中にもあった。
公文の方針だと思うんだけど、100点になるまで何度でもする。同じプリントを20枚や30枚する子もいたと思う。楽しくはないだろうけど、100点にするっていうのが凄く大事なんだなと思った。
だから生徒には「100点目指してがんばれ〜!」とは言うけど、100点じゃなかった時は、「うぁーラッキー!今出来ない所がみつかったね!やったね!」と言っていた。その出来なかったところを解決して100点になったら帰ってよし!なんだけど、「せんせー、あたしもう完璧ばーい!」なんてニヤケ顔で100点のプリント見せにくるカズちゃんが可愛かった。「最初から100点のプリントより間違い解決して100点にしたプリントのほうが先生は好きー!」って言ったら、「先生変わっとるねー。最初から100点のが誰でも喜ぶばい!」なんて言うから、「最初から100点だったら最初から完璧だからテストする意味ないじゃーん。テストして間違いを正せるようになったカズちゃんは、昨日のカズちゃんより完璧よー!」なんて乙女トークをしていた頃が懐かしい。
子どもは自分が良い子だと親が喜ぶから、必死で良い子でいようとするし、出来なければ隠すようになる。出来ないことは恥ずかしいことじゃなくて、出来ないことを出来るように努力するのが勉強なんだよ。出来るようになったら楽しいよね!ということを子どもに教えたかった。
たっくん
たっくんは幼稚園の年長から小学校2年まで教えた。教室に入ると私の隣の席を指定席のようにして座っていた。教室には先生が4人くらいバラバラに座っていて、先生の横に座っても良いし、1人で座っても良いし、席についての決まりはなかった。
たっくんは左手の指がなかった。赤ちゃんの頃火傷したらしい。5才の子の左手が、指が第一関節までしかなくて、最初見た時は胸が苦しかった。たっくんは時間の流れがゆっくりな子で、他の生徒の10倍くらいゆっくりだけど、小学校に入ってからも毎週がんばって来てた。
だけど足し算に入った頃から、今までのように順調に進んでくれなくなった。1年以上足し算のプリントしかしていないのに、レベルが上がって行かない。この子に関しては、私が担当せずベテラン先生に任せるべきだったと今でも思う。
私には、障害のある子どもに対する経験値がなかった。だから、たっくんが足し算を指数えでしかしないのをやめさせるべきなのにやめさせなかった。
指と言っても根元しか残っていない手のひらを使って、「1たす2うーん、いーち、いーちにーい。いーちにーいさーん。」こうつぶやきながら指を数えるの。その姿が痛々しいというか、なんとも複雑な気持ちになってしまって、先生失格。はっきり言ってタックんにはあまかった。
たっくんの家は母子家庭で、たっくんが赤ちゃんの時に離婚したらしい。お母さん1人で働いて子育てして大変なんだろうけど、お迎えのお母さんはいつも遅れてくるし、上下スエットで金髪だしガタイもよくって、何だか体育会系のかほりが芳しかった。
たっくんは、小学校に入っても”す”が言えずに”しゅ”になったり、全体的に赤ちゃん言葉が抜けない話し方してたからいつまでも赤ちゃんみたいで可愛かったけど、あかちゃん言葉を治してあげたかった。治し方とか知らないけどw
幼稚園の先生だったうちの母親が、小さい子どもの問題は愛情で何でも治ると言っていたから、たっくんが隣の席に座るたびに「となりに座ってくれてありがとう。先生うれしいです。」と言い、プリントが100点になったら「最後までよく頑張ったね。たっくんえらいね。頑張るたっくん大好きだよー!」と言ってた。小さな声で。人に聞かれないように。
バイトでも先生やってたら、特定の生徒に大好きだよなんていうのがマズイことくらい分かってたけど、言葉にして伝え続けたら何か変わるんじゃないかって期待してた…。
大好きだよをはじめて1年くらい経った頃かな、隠してたつもりでも隠せてなかったらしく、小4の男の子が、「今、先生たっくんに好きっていったー」と言った。すかさずベテラン先生が小4の子に「先生はりゅー君がだーいすきよー!プリント全部して持って来てくれたらチューしてあげる」と助け舟を出してくれた。ベテラン先生、ゴメンナサイ。その後ベテラン先生がたっくんに、「たっくんもアリー先生好きなの?」とデリカシーのない(笑)ことを聞いたら、たっくんは「べーつーにー」と答えた。「べちゅに」じゃないんだよ。たっくん成長してた!そして私振られた。
アカネちゃんとカオリちゃん
アカネちゃんとカオリちゃんは、同級生で中3だった。アカネちゃんは4人姉弟の長女で、しっかり者。特に手がかかることもなく、楽な生徒だった。妹2人と弟1人も同じ教室に通っていたし、家(建築会社兼自宅)もすぐ隣だったから家族関係がよく見えた。お父さんは会社経営、お母さんは会社を手伝いながら子育て。分単位で会社と子どものスケジュールを把握して子どもの送り迎えをしている姿を見ると、本当にエネルギッシュな女性だなーと思ったのをよく覚えている。お父さんとお母さんが一生懸命働いている姿を子ども達4人はいつも見ているから、一番下の小2の甘えん坊の弟ですら道具の片付けはきちんとするし、上の子は下の子の面倒を良く見ていて、理想的な家族に思えた。
カオリちゃんは自分の家庭をクソだと言って、あまり家族の話しはしたがらなかった。もっぱら私の彼氏がどんな人なのかが興味の対象で、彼氏の情報をあげるとすんなりプリントを解いてくれていた。
クリスマスの数日前に、2人がサンタクロースの話しをしていた。ちょっともめていた。「どうしたの?」と聞くと、アカネちゃんは「カオリがサンタさんいないっていうけど、ぜーったいいるもん!」と興奮しながら言ってきた。「おるわけないやん、ふんっ」と斜め上から言うカオリちゃんに怒っている様子だった。
「アカネちゃんはどうしてサンタが絶対いると思うの?」と聞いたら、「だって、毎年一番欲しいものがプレゼントでくるもん。私絶対にお父さんにもお母さんにも欲しいもの秘密にしてるのに、毎年一番欲しいものがくるんだよ。サンタさんじゃないとわからないよ。弟も妹もみんな一番欲しいものがくるって言ってたもん!」と語気を荒げて言った。素直に凄いなと思った。あんなに忙しそうにしてるのに、ちゃんと子ども達全員のことを見てるんだなぁ…って。中学3年生にサンタクロースを信じさせる親なんてそうそういないと思う。私は小1で母親からサンタなんていないと打ち明けられた。くそっ、羨ましいぜ!
お父さんと一緒
シズカちゃんは文字通り物静かで清楚という言葉がぴったりの、長い黒髪が綺麗な色白で顔立ちの良い中3の女の子だった。公文の教室だけじゃなくて、学校でも部活でも模範的な生徒なんだろうなという感じ。いつも19時過ぎにきて、プリントを終わらせたら、学校の勉強で分からない所を聞かれていたので、ちびっ子達が帰った後の教室では、シズカちゃんの家庭教師をしているような感じだった。ベテラン先生が受験生には公文以外の勉強もみてあげるという方針だったので、それで問題はなかったんだけどね。
地頭の良さはさほど感じなかったけど、とにかく素直な性格で、教えれば何でも吸収していった。正直学校ではそんなに頭がよくないのでは?と思っていたけど、市内で一番偏差値の高い高校に合格した。私が卒業した高校よりかなり偏差値が高い。ジャイ子嬉しいよ!
シズカちゃんが、なぜあんなに偏差値の高い高校に入れたのか、私は一ミリも貢献していないような気がして、シズカちゃんが卒業した後、時々考えていた。そして多分これが答えかなというものが、シズカちゃんのお父さんにあった。
公文の教室はシズカちゃんの家からは少し遠くて、シズカちゃんはバスで教室に通っていた。シズカちゃんはいつも遅めに教室にきて最後まで残るんだけど、教室を出るのが8時半とか9時とかなので、「バス停まで一緒にいこうか?」と何度か聞いたけど、「大丈夫です」と断られてた。何かあったら心配だけど…、と思って帰るシズカちゃんの後ろ姿を観察してると、少し先にある電柱に立ってるスーツを着た男性に「お待たせ!」と言って駆け寄って行った。「まさかの援交か?」と思ったけど、そんなはずはない。シズカちゃんのお父さんだった。
シズカちゃんのお父さんは、仕事の帰りに彼女を迎えに来ていた。週に2回、毎週必ず。車で連れて帰るんじゃなくて、一緒にバスに乗って帰るらしい。コンビニで買い食いをしている2人の姿を何度も見かけた。じゃんけんでお菓子を選んでる姿を私に見られて恥ずかしそうにしているお父さんの姿を忘れないw肉まんを半分こしている姿に「恋人か!」と突っ込みを入れたくなるような仲の良さだった。うちの近くのコンビニ前がバス停で、そこから2人はバスに乗るから、バイトの帰りにコンビニに寄ると、必ずと言っていいほど2人をみかけた。シズカちゃんのお父さんも物静かな人だったけど、歩いている時もバスを待っている時も、2人はなにか話しをしているようだった。きっとお互いに今日あったことや悩み相談とか、大切な親子のコミュニケーションの時間をそこで過ごしていたんだと思う。
シズカちゃんにはお母さんもいて、お父さんが迎えに来れない時はお母さんが車で迎えにきてたから、お父さんが会社帰りに迎えにくるのは、ご両親の考えあってのことなんだろうなと思う。直接勉強をみてあげなくても、こういうかかわり方でも十分子どもの勉強の助けになるのだと思う。
むしろ、こういうことが大事なんだと思う。「勉強したの?」と親に言われても、TV見てるやつになんて言われたくないだろうし、「勉強したの?」が思春期親子の会話のトップだなんて寂しすぎる。
色んな家族を見て思ったけど、子どもが見てるのは親の生き方で、口で示しても態度が違っていたら子どもには伝わらない。口うるさく言わなくても、頑張っている親の姿を見ている子どもは、すごく頑張れる子だった気がする。
まぁ、私なんかが言うのはおこがましいけど、「自分の子どもには自分のような思いはしてほしくない、成功して欲しい、苦労してほしくない」という人の人生はまだ終わってないんだから、本当にそう思うのなら今から自分の人生本気で頑張ったら良いと思う。年齢とかを言い訳にせずに、やりたいことをやって、頑張ってる姿を子どもに見せたら、それが一番安くて効果的な教育になるんじゃないかな…?